会報第14号

もくじ
〜 平成19年度・福岡販売士協会・年次総会 開催 〜
〜 設立6年目を迎えて 〜
〜 投稿記事 〜 ◇役員&会員◇
  T 実感 ・U Nagasakiナガサキ長崎 ・V 酒よ、明日よ 
  閑話 集団行動と勢い 
  日本一の萩 
  これからの7万時間をどう活用するか
  〜定年を迎えて〜 
  私とペットと仕事 
  私とお花 
  その時から歴史が変わった(裏から見た経済史的私感) 
  開通2年目、地下鉄七隈線で変わった!福大生の生活行動 
  老化現象と食生活 
  参・考・意・見  
  格差社会の象徴―ホームレスと銅像 
  心の時代(顧客満足)に、教養の実践を 
  研修副委員長の拝命にあたって 
〜 事務局便り! 〜



〜 平成19年度・福岡販売士協会・年次総会 開催 〜

事務局長 泉 亨


=年次総会次第=
司会 佐田 智彦会員

・第一部 総会議事 14:00〜14:30
  挨拶と報告  会長 栗川久明

・第二部 講演会  14:45〜15:45
  演題 “新規事業への挑戦”
  講師  福田 紘司会員

・第三部 懇親会  16:00〜18:00
  来賓挨拶   長崎販売士協会
  会長 富永 廣道
  懇談・出席者紹介・スピーチ
            18:00  散会

◆第一部 総会について
 来賓として長崎販売士協会の富永会長以下、冬木副会長、吉岡副会長の3名をお迎えして、定刻通りに総会が開催されました。
 福岡販売士協会は、今回で6回目の総会となりますとの、栗川会長の言葉で始まり、第一号議案の新役員体制について、研修体制及び広報活動の強化・充実を目的とした理事の1名追加案が提案されました。
 第二号議案の平成18年度の活動報告と会計報告と続き、第三号議案の平成19年度の活動計画と予算については、会員数の微減により予算額も若干の減少となりますとの報告と、質疑応答等を経て議案の審理は終わりましたが、小野監事より監査結果について、会計処理は適正に行われているとの監査報告がありましたことを申し添えておきます。
順調な議事進行の中、総会は無事終了致しました。なお当日欠席されました会員の皆様方には、後日、総会の資料をお届け致しますので、議事進行の詳細につきましては割愛させて戴きます。資料がお手許に届きましたら是非ご一読の程よろしくお願い申し上げます。

◆第二部 講演会について
 今回は、当協会の会員で一級販売士である福田 紘司氏に、”新規事業への挑戦”と云ったテーマで、講師の現役時代の実体験を基にしたお話をまとめていただきました。
ここで本題に入る前に講師の略歴をご紹介致します。氏は、S35年4月に国鉄に入社し、S59年には南福岡駅長となり、一時新幹線総局の総務課長、国鉄の民営分割後、JR西日本で企画課長等を経た上で、H1年6月新幹線小倉駅長となり、H7年11月に国鉄を退職し西日本キヨスクの九州支店長として活躍されました。その後、ジェイアールサービスネット福岡の常務取締役としてH18に定年退職を迎えられました。
(内容)
 国鉄は昭和24年に国営から公社になりましたが、当時は政府の方針で戦争で復員した人達や海外から引上げて来た人達を採用したこともあって約60万人の職員がいました。東海道新幹線開業時でも46万人の職員がいました。その後、石炭産業から石油産業へ、あるいは、モータリゼーションの急激な進展、航空機の発展、内航海運の発展等の要因により、貨物が不振となり、昭和39年を機に赤字となりその傾向が続いて、民営化時には長期債務は25兆円と膨大なものとなっていました。3公社の中で、この膨大な赤字を抱える国鉄の改革が最も困難な課題となっていました。小手先の改革ではどうにもならない状況から抜本的改革「分割民営化」が進められることになった訳です。
 民営化を進めて行く上での大きな課題として、余剰人員対策と25兆円に及ぶ長期債務の整理です。特に福田氏は、総務課長(人事課長)として職員とその家族を路頭に迷わせることがあってはいけないと云う重大な職務に関する責任感を感じておられたそうです。余剰人員対策としては、第一弾として広域移動、つまり人員の多い地域から比較的少ない地域への移動。第二弾としては希望退職者の募集、第三弾は政府機関や市町村等の公的機関への応募、そして第四弾の民間企業への応募。これらの対策により約10万人の余剰人員の整理が曲がりなりにも終わりを迎えたわけです。そして昭和62年3月31日から翌4月1日に掛けての国鉄最後の日を迎えての移行準備は福田氏にとつて、何時までも忘れえぬ、そして鮮明なる感動を覚える一日であったと述懐されていました。
 また、JR西日本は駅構内事業として4つの会社が存在していましたが、そのことによる弊害が見過ごすことの出来ない状況となり、効率的な経営による最大効果を上げるために、駅構内4事業の再編成が計画され、地域本位の会社に再編成されることになりました。結果としてコンパクトな経営が可能となり、非常に良い決断であったと云われていました。4つの会社を1つにして新会社を設立する訳ですが、そこには大変な苦労が待ち構えていて、準備室長の1人としての福田氏は、にわか勉強に明け暮れる日々が続いたそうです。
 新会社設立における問題点として、本社の規模をどうするか、その組織をどうするか、それぞれの分野における人員をどうするか、また、経理関係で一番苦労したのは、財産の把握に続き財務システムの訓練、賃金体系の整備です。営業関係においても、酒、タバコの許認可に大変な苦労があったとのこと。
 さらに、新会社設立後の新たな取り組み課題として、経営理念の制定、日常業務のシステム化、マネージャーシステムの導入、個店舗管理の徹底、新人事制度の導入、教育研修等人材育成、サービス等の実務能力向上、経営の効率化、コンプライアンスの強化等、講演を聴きながらそのスケールの大きさに、唯感心するばかりでした。次に売上げ拡大に向けての具体的取組についての説明がありましたが、その内容を要約しながら以下に記します。

(1)既存店舗の収益力向上
 ● 主要店舗のリニュアル・リフレッシュ
  常に変化を頭に入れて、3年を目途にリニュアル・リフレッシュを行うことを目標とする。コンコースの店舗は専門性を重視し、ホームに関しては、小さくても総合性を重視し利便性に富んだ、コンビニ風の店舗に作り変えていった。キヨスク売店の、売店というイメージを払拭するのが、かねてからの強い思いだった。
 ● マーチャンダイジングの強化
  POSを導入することにより、単品管理を容易にする。またそれによって社員が色々考えながら商品管理、販売管理をする意識が芽生え、それを実践するようになったことが大きな収穫となった。
 ● 新規商品の導入
  常に市中の動向を把握しながら、新規商品の導入を心掛けた。
 ● 接客サービスの向上
  仙波先生(福岡販売士協会の会員の1人)に、最も大事な分野である接客サービスに関しての教育をお願いし、その向上に努めてきた。

(2)業態の見直し
 ● 個店舗管理の徹底でもどうにもならない不振店は業態変更を実施。
 ● ヘルシーステーションをコンビニ風の店舗に変更。
 ● ホーム店舗をミニコンビニ化(大成功)
 ● うどん店を弁当館に変更

(3)新規事業の導入
 ● 小倉駅構内のミニショッピングセンターにお土産とコンビニの複合店を出店。
   ● クイックバーバー(10分散髪)を博多駅2Fに出店。
 ● ナチュラル・ボディ(マッサージ店)を博多駅2Fに出店。
 ● 博多駅西高架下には、本格的そば居酒屋、地鶏の焼き鳥屋、和風居酒屋等を出店し好評中。
 以上のような事業展開を行っていく上で、常に念頭に置いてきた3つのキーワードは
  「1:チェンジ(変化)」「2:チャンス」「3:チャレンジ」
でした。
 素人ではあったが自分としては、満足のいく結果を得られたと思っています。皆様方も自ら信ずることを積極的にチャレンジして下さいと云う言葉で、約1時間の講演は終わりました。 
 
◆第三部 懇親会

 講演会迄で帰られた方々もおられましたため、やや少な目の参加者で懇親会となりましたが、司会の佐田さんのリードで会は大いに盛り上がり、それぞれのグループで話の花が咲き、楽しく有意義なムードに包まれた会場となりました。
 さすがは販売士の皆様です、次々とマイクを持たれる方々のスピーチも、大変上手で感心させられる場面も。
 最後は濱村幹事の博多一本締めで散会することとなりました。



設立6年目を迎えて

会長 一級販売士
栗川 久明

 当協会は設立総会を平成14年4月13日に、日本販売士協会・長崎販売士協会のご指導をいただいて開催してから、早いもので6年目を迎えました。当協会の活動は年を重ねるごとに充実してきています。
 今年も、全体会合の年次総会、夏季研修会、流通施設見学会、夏の納涼家族パーティ、九州販売士交流会、新春懇談会を行います。また、個別会合も毎月の役員会、1級販売士検定受験通信教育、年3回の会報「販売士・ふくおか」の発行、ホームページの全体会合・会報に合わせた改定等を行ってまいります。
 一昨年まで、私が会長と事務局長を兼務してきましたが、昨年より泉さんに事務局長の仕事を徐々に引継いできており、今年からは全面的に移行しますので会員の皆さんのご支援をよろしくお願いいたします。
 当協会の設立当初は「年会費3,000円で収支は成り立つのか?」という心配の声をみなさんから多くいただきましたが、年次報告書のとおりなんとか余裕を持った収支でこれまで推移できています。これは、役員・会員のみなさんのボランティアでのご協力、全体会合懇親会費の各自ご負担、また、個別会合の場所に麻生情報ビジネス専門学校の教室を無償でお借りできていること等が寄与しており、関係のみなさまに心より感謝申し上げます。
 日本販売士協会、各地の商工会議所等では、会員数目減りによる収入減に対処するため経費削減が積極的に行われており、当協会も所属団体からのご支援を期待できませんので、さらに自主自立の運営を徹底していかなければなりません。
 会員数は年度末までに年会費を納入されずに資格喪失された人員が、新規に販売士資格を取って入会される方より多く、わずかづつ少なくなっています。ぜひとも会員のみなさんより入会のお誘いをお願いいたします。
 定年退職で会員を辞められ方と逆に協会活動を通じて社会とのつながりを保っていこうという二通りのケースがあるようです。私はぜひ後者の定年退職後の活動の場として協会をじょうずに活用されることをおすすめします。
 昨年は九州販売士交流会が長崎で盛大に開催されました。今年は島原で開催される予定ですので、当協会からもできるだけ多くの皆さんと参加したいと思います。このような九州の販売士仲間との交流がどんどんひろがってゆくことを願っています。


〜 投稿記事 〜  役員&会員


T 実感 ・U Nagasakiナガサキ長崎 ・V 酒よ、明日よ
一級販売士 顧問
石原 敏

 T 実感

 もう年末や?と言うのが本音で、何時の間にか、ゆく年くる年の境目を跨ぐときが直ぐそこに来ていることに気が付く。この刻限を挟んでゆく年は去年、くる年は来年と言うことになっているが、この去と来をくっつけると去来となり、行きつ戻りつだ。色んな回想が胸中を去来どころかまさに駆け巡る。多くの大事・小事を惹き起こしながら素早く駆け抜ける、疾風迅雷の犬の年だったと言うのが鮮烈な実感だ。明くればまた色々と論じられるであろう亥年である。この年、私は盲信するのでなければ、猪突の勇気も必要な年ではないかと感じている。
 ところで、京都清水寺の和尚が、恒例行事となった(今年の漢字)として書いたのは(命)であった。あらゆる科学技術の進歩を以ってしても、その境目を跨いで去来することが出来ぬ、往還自在とは参らぬ人間の一凡人にあっては、目を見開いて更に修行を積めと言う事か?今学校で“命の大切さを”と訴えても効果は思ったようには上がらない。一番分かり難い “いのち” を振りかざすその前に、教えねばならない事がいくつも有るのだろうに〜〜〜。

 U Nagasaki ナガサキ 長崎

 平成18年は珍しいことに三度も長崎を訪れた。”さるく博”効果も有り一度位とは思っていたところ、予想外に長崎での行事が入り、行く機会が増えた。
 一回目は5月4日、長男一家と共に雲仙へと出掛けた時に、足を伸ばして新しく出来た原爆資料館へも寄ってみた。狭い敷地にしては無理なく、動き易い造りになっている。しかし、展示には何か遠慮があるような控えめが感じられるようで、更に一層、非戦闘員無差別殺傷の是非や、劣化ウランの恐怖に迄範囲を拡大して、核の危険を訴える必要が有りはしないかと考えさせられた。
 原爆で思い出したのは、あの石原莞爾陸軍中将のことである。彼の昭和15年5月29日講演録、最終戦争論には、『一番遠い太平洋を挟んで空軍による決戦の行われる時が、人類最後の一大決勝戦の時であります。即ち無着陸で世界をぐるぐる廻れるような飛行機が出来る時代であります。それから破壊の兵器も今度の欧州大戦で使っているようなものではまだ問題になりません。もっと徹底的な、一発当たると何万人もがペチャンコにやられるところの、私どもには想像もされないような大威力のものが出来ねばなりません。-----略-----。このような決戦兵器を創造して、----略----、が最後の優者であります。』と述べているのを読んで大変驚いたものである。
彼は早くから戦争史を通じて、このような具体的に原爆を予想していたとは思われないけど、何かしら一発壊滅という超兵器の出現感覚を持っていたようである。その他にも屡々軍紀の粛正や戦陣訓の誤用にも言及していたのを読んだ事がある。恐らく資料館見学でこの様な事を思い出すのは変な奴だと言われるだろう。

 V 酒よ、明日よ

 酒類の消費がじりじりと落ち込んでいる。3月期年間統計表で見られるようにトータル減で、ここ数年こんな状態が続いている。12月22日の株式相場を見たら、偶然にもキリンとアサヒが1901円で終値が並んでいる。どうでも良いようなものの、この両社は懸命に競争し合っている。
 ビール系だけではなく、他の酒類や異業種も巻き込み、国内だけに限らず外国勢を相手に世界各地にも進出するグローバルな戦いでもある。ところが、実は内なる戦いではビール、発泡酒共に減少中で18年1月から10月の実績表の通り、第三のビール出動によって、かろうじて数量を維持している有様である。料飲用ウェイトが大きいビールは酒税格差による価格競争に曝されながら、目下の飲酒運転撲滅運動で追い討ちを掛けられ、発泡酒にしても家庭用主体の新ジャンル物の安さに共食いといった状態である。新ラベルも出しては消えるの繰返し、生即是屑の消耗戦を強いられる。だから彼らは必死になって買収合併、シナジー効果の見込める、いわゆるM&Aの相手先を物色しているし、キリンでも中期3年計画の中でその対策費3000億円の投入を先週発表したばかりである。
 一方寂しいことに12月20日、厚生労働省発表の将来推計人口で予測されるのは、消費者数の減少によって先々発生する需要減である。生産年齢人口で比較すると、2005年の8442万人が、2030年には6740万人と、25年間に1702万人の減少。このまま放って置けば約80%に縮んでしまう現実を迎えると、お客様が減ってしまうのだから企業の存立は困難にならざるを得ないのであって、ビール各社に止まらず日本経済の見通しに、重大な危機を告げる警鐘が鳴らされたものと考えねばならないのでしょうか。市民よ、有権者よ、どう考えますか?
 我々同年代の者たちが100歳に到達する頃、日本はどう変わっているのだろうか。賢明なる青少年よ頑張ってくれ !


閑話 集団行動と勢い
1級販売士 副会長
 石原 義曠

 最近“世界の日本ジョーク集(早坂 隆著・中公新書ラクレ)”という本が売れているようですが、その中のひとつに「ある豪華客船が航海途中に突然沈みだした時のこと、船長がそれぞれの外国人客に対し、一刻も早く海に飛び込んで避難するよう声を掛けた場面のジョーク」に
* アメリカ人には
「飛び込めば、あなたは英雄ですよ」
* イギリス人には
 「飛び込めば、あなたは紳士です」
* ドイツ人には
 「飛び込むのが、規則になっています」
* イタリア人には
 「飛び込めば、女性にもてますよ」
* フランス人には 
 「飛び込まないで下さい」
そして、日本人客には「みんな飛び込んでいますよ」と言ったとあります。
 それぞれの国民性とか価値観を象徴的に表現していることに感心しながら、その異なるお国柄というか意識や心理をもつ特異な集団の行動について非常時の場面でジョークにしているのが面白く、またその行動への動機づけの語りかけが何とも示唆に富んでいるような気がします。何故ならば、この“集団を動かす”ということは現実の企業社会の組織行動に置き換えてみた時、日常行動はもちろん不測事態への対応を含めそのあり方が即企業力の差に繋がる重要なファクターになっていると思うからです。
 私たちは通常、物事を集団でやり遂げようとする時、先ずは自集団を構成するメンバーの力量というか戦力を推し測った上で個々人の育成とか動き方を考えて事に当たっていますが、同時に重要なことはこのジョークの例のように集団全体をよく観て、如何にしたらこの組織集団が思い通りに動くかということに意を注ぎ、そのための雰囲気づくりとか勢いが出るような流れを創ることをしている筈です。
 孫子の言葉にも「激しい水は石をも動かす」というのがありますが、その意味は「川の水は勢いがあるから石をも浮き上がらせもするが、池の水はいくら水量が多くても流れがないので小石さえも動かすことができない」と説いています。つまり、活動力という視点からすれば私たち企業社会においても孫子の言葉同様に、組織集団というものは活性化しない限り“勢い”など出てきませんので、当たり前のことですが皆んながヤル気を出す環境をどう創り上げていくかに掛かっていると思います。ただ、問題は現下においては労働条件や処遇が大きく異なる構成員を多く抱えるなかで、どうしたらそれが実現できるかにあり、難題ながらリーダーにとっては挑戦しがいのあるテーマではないでしょうか。         
(平成19年3月)



日本一の萩
1級販売士 佐田智彦

  身(み)はたとひ 武蔵(むさし)の野辺(のべ)に 朽(く)ちぬとも
   留(とど)め置(お)かまし 大和魂(やまとだましい)

この1首は維新の先駆者・吉田松陰(1830〜1859年)の辞世の句である。
昨年秋に第90代首相(57人目)に任命された安倍晋三氏は、山口県(油谷町)を選挙地盤に持つ。長州からは8人目の宰相誕生となった。
 勿論一つの県での総理出身人数は全国一位だが、以外にも目立たない・知られていない日本一が同県の萩市(毛利36万石の城下町)に存在する。
 それは、歴代総理が4人も出ていること。日本国内に於いて、同一都道府県市町村でこの数字に勝るものはない。伊藤博文(1885年44歳で初代総理大臣)、山縣有朋(1889年51歳で総理・徴兵令を制定)、桂太郎、(1901年53歳で総理・在職2886日は長期政権記録)、田中義一(1927年63歳で総理・「おらが宰相」で大衆的人気)と4名の総理大臣が萩市から誕生している。
 伊藤博文、山形有朋は吉田松陰の門弟でもあった。吉田松陰は、わずか3年ほどの間に、若い長州藩士(武士、足軽、平民の子供に差別をしない)に『志』を持たせる教育を行い、幕末から維新にかけて有為な人材を多数輩出した。安倍首相の所信表明演説にも、松陰先生の『志』を引用して、小さな松下村塾が『明治維新胎動の地』となったと述べている。小泉前首相も松陰先生の言葉を引用して改革の決意を表明した。
 冒頭の句は、吉田松陰が鎖国時代に密航を企て失敗して、江戸の伝馬町牢獄において処刑される直前の句である。この句は、牢獄にて執筆した『留魂禄(りゅうこんろく)』(5,000語)に記されている。『留魂禄』は門弟達の間で密かに回覧され、写本されて、志士たちの聖書となった。また遺書文学としても、世界最高峰のものとして高い評価も得ている。
 奇兵隊で有名な高杉晋作に教えた『死して不朽の見込みあらば、いつ死んでもよし』という死生観そのままに、吉田松陰は30歳で不朽の死を遂げた。
(死を度外視して何を為すべきかが大事)
 特に印象的なのは、『今日死を決するの安心は、四時(しじ)四季)の順環(じゅんかん)(循環)において得る所あり』と穀物の収穫に例えた死生観を語った部分である。十歳で死ぬ者も、おのずから十歳の四季を持ち、花あり、種子を残すのだと松陰は言う。農事が必ず四季春・夏・秋・冬)を巡って営まれるのと同じく、人間にもそれにふさわしい四季があり、十歳・二十歳・四十歳・五十歳・百歳にもそれぞれの四季があると述べている。
 幕末、将来の日本国を愁いた5人の長州藩の若者が秘密留学生としてイギリスに向かった。松下村塾出身の伊藤博文(初代総理)、井上馨(初代外務大臣)の二人は政治を、遠藤謹助(造幣局を造る)、山尾庸三(東大工学部を創立)、井上勝(横浜〜新橋間鉄道敷設)の3人はエンジニアリングを日本に導入して、新しい国づくりに専念した。当時、英国のマスコミは彼らを『長州ファイブ』と呼んだ。日本の近代化をリードした5人の青春群像を描いた映画『長州ファイブ』も昨年秋に封切られた。(彼らの生き様が、現代の若い人たちに今後の人生における指針となるかも知れない)
 塾の吉田松陰先生は、若者達にこう呼びかけている『自分の生まれた土地に劣等感を抱く必要はなく、この地を世界の中心と考え、誇りを持って励もうではないか』と。・・・・・私の故郷万歳!2007年3月1日記


これからの7万時間をどう活用するか
〜定年を迎えて〜


一級販売士 企画委員長
渡辺 芳雄


 私は、1947(S22)年3月生まれ、いわゆる団塊世代の第一走者で、この3月をもって37年間のサラリーマン生活に別れを告げました。大量退職の始まりです。
 以下、
(1)サラリーマン時代の振りかえり
(2)これからの7万時間をどう活用するか
の2点について簡単に述べさせて頂きます。
(1)サラリーマン時代の振りかえり
 ●70(S45)年〜81(S56)年
  日本航空株に11年間勤務
 入社した年に500人乗りのジャンボ機(B747)が日本に初めて登場し、空の大量高速輸送時代が始まりました。
 入社4年目に海外実習生として西ドイツ(当時)に赴き、牧歌的な田舎の学校でドイツ語会話を4ヵ月学んだ後、フランクフルト空港で1年間勤務したことが、青春時代の印象に残るよい体験となりました。
 ところで当時の花形だったB747も、今では燃費効率が悪いと云うことで世界の空から徐々に消えていっています。また、会社も皆さんご存知のとおり、いろいろとワケありでかなりの苦境に陥り、淋しい限りです。
 ●81(S56)年〜07(H19)年
 花王販売(株)に26年間勤務
 81年に花王の販売会社の基礎を作った、家内の父の奨めもあって思い切って大企業から中小企業に転身しました。
 入社当時、各県に1〜2つの販売会社があり、九州だけでも沖縄を含めて12の販社がありました。その後、メーカーである花王石鹸(当時)の主導の下に小売業の大型化、上位集中化などの変化に対応して、販社の合併、統合が逐次進められ、99年には全国一本化して花王販売(株)となりました。そして、3年前の04年には花王(株)の完全子会社となった訳ですが、その間、販売管理や人事・教育、総務関係の仕事を通じて、新しい仕事の進め方や、基準・制度の一本化と、その普及にかかわってきました。
 「仕事が人を作る」と云われますが、中小ないし中堅規模の企業の中で、大企業では出来ない幅広い業務を体験し、また、素晴らしい友人・知人を得られたことは、嬉しい限りです。
(2)これからの7万時間をどう活用するか
 サラリーマン生活から開放され、退職後の新たな生活を迎えて、今は新入社員のような夢と、多少の不安を感じています。
 目指す生き方としては、一言で云うと“生涯現役”です。私としては働くことのみではなく、遊ぶこと、学ぶこと地域や人とのお付き合い等を含めて、「主体的な発想と活動」をして、少しでも納得のいく、そして楽しい人生を送りたいと云うことです。
 これまでは企業と云う枠組みの中で、いろいろと拘束され時には受身的あるいは他人本位とならざるをえないことが多かったので、これを切り換える良い機会だと思っています。幸いにして福岡販売士協会には、見習いたい素晴らしい先輩が多数いらっしゃるので、今後の更なるご指導、ご助言を期待しています。
 ところで「7万時間」とは、一日の自分の自由な時間(睡眠、食事、入浴等を除く)を10時間とすると、1年間では、
   10時間×365日=3,650h
 さらに80歳まで生きると仮定した場合、
   3,650h×20年=73,000h
から算出しています。実は、これは一方で、これまでの37年間の労働時間、37×2,000hにほぼ匹敵します。
 今の私は75歳まで“現役”であとはPPK(ピンピンコロリ)でこの世を去れればなんて思っています。80歳を越えてもなお現役でご活躍中の大原先輩からは、なに弱気なことを云っているかと、お叱りを受けそうですが。
 ただこれからは、20年なりを総量で捉えるのではなく、例えば3〜5年区切りで目標を立て、
 1:60〜65歳を第二の人生のレールを敷く時期
 2:66〜70歳を安定維持期
 3:71〜75歳を世に貢献する時期
 4:76歳以上をやり残しのないようにする時期(良い言葉が浮かびませんが)
と云うような、新たなライフサイクルの発想も、良いのではとも思っています。
 これからも試行錯誤が続きそうです。いずれにせよ、これからの人生をより充実したものにするためには、私の好きな言葉である
 1:病気以外は全て健康。
 2:人間万事塞翁が馬。
 3:実るほど頭を垂れる稲穂かな。
そして最近仕入れたものですが、
 4:小人は縁に気付かず、中人は縁を生かせず、大人は袖掏り合う縁も縁とす(人との縁を大切に)
を引き続き大切にして、”生涯現役”にマイペースでチャレンジして行こうと思っています。そして晩年には今流行の新井満作曲の「千の風になって」を冗談っぽく歌って、この世を去っていければと思っています。


私とペットと仕事
人事教育コンサルタント
一級販売士 仙波 敬子

 私のストレス発散は今のところ愛犬である柴犬(名前はリュウタ)と遊ぶことです。私が帰宅すると甲高い声で泣きながら駆け寄ってくるし、炊事中のキッチンでは足元に寝そべっているし、パソコンを打っている時は傍にいるし、夜はもちろん一緒にベッドで寝ています。まあ、愛人(?)みたいなものでしょうか。私の疲れている時にはそっとしておいてくれ、元気な時にはボールを持ってきて一緒に遊ぼう!と催促します。実は、今の自宅を購入したのも、犬を飼えない賃貸住宅から引っ越すためでした。近所にもペット同士が仲良くしている友達がたくさんできました。
 今やペット市場は日本で1兆円、アメリカでは4兆円と言われています。日本の世帯の約40%で何かしらペットを飼っているのです。ペットそのものだけでなく周辺のフード・グッズや保険、ペットホテルや美容なども賑わっています。少子高齢化、単身世帯の増加、ストレス社会などの社会的要因からペット産業はもっと大きくなるだろうと経済専門家は予測しています。特に、葬儀やしつけ等に大きな需要を見込めるとしています。
 私が仕事において販売士検定対策を指導しているのは唯一、九州スクールオブビジネスのペット学科です。この学科は獣看護やトリマー、トレーナーを目指す3専攻の学生がいます。検定合格後、ペットショップを開業している卒業生もいます。大手ペット系企業への就職も、販売士検定合格者は相当有利です。純粋にペット好きな学生しか入学しないので基本的に私と相性が良いのか、合格率は毎年全国平均以上です。「この陳列方法でペットファッションをどう売るか」という課題を出すこともありますが、つい学生とペットの話に夢中になったり、情報交換をして楽しんでいる自分に気づいています。
 さて、そんな私が最近気になっているのですが、税金の話。ドイツ・オーストリア・オランダ・フィンランド・中国では犬税と呼ばれる課税制度があります。日本でも昭和57年まで存在していました。昭和30年には、全国約2700自治体が、「犬税」なるものをかけていました。「犬税」は、税目としては「法定外普通税」といって、法律によらずに、市町村が自治大臣(現総務大臣)の許可を受けて設けることができる税です。昭和57年、長野県の四賀村(一頭:年300円)を最後にこの税はなくなりました。
 ドイツの例を見てみると、ドイツでは犬に十分な飼育スペースや運動、飼い主との交流、しつけを与える法律的義務が飼い主に課せられています。違反すると動物虐待罪に問われます。また自治体によって違いますが、犬1頭につき年間70ユーロ(約9千100円)から140ユーロ(1万8千200円)程度の犬税を収めなければなりません。この犬税は多く飼うほど割高になります。これは犬の繁殖、売買を防ぐ目的があります。また外出時に犬は登録番号をつけることが義務づけられています。衝動買いと金目当ての繁殖を防ぐ為に、ペットショップなどで生きた犬猫を販売することも禁じられています。犬が欲しい人は、各犬種の犬協会等に問い合わせ、予約してその後、産まれたら買うことになっています。また、生後2か月以内の子犬を親犬から離すことも禁じられている為、犬を予約してから長い時間がたった後、実際に犬を飼うことができるようになります。また、未成年者は動物を購入することが禁じられていています。これらの事情があり、ドイツでは多くの人が犬を飼っているにもかかわらず(人口比62.5%)、捨てられる犬は少ないのです。捨てられたりして飼い主を失った犬達は、ドイツのそれぞれの都市の動物保護施設に連れてこられるそうです。この責任ある飼い方は、日本も学ぶところが大きいと思います。
 最近、ペット学科の学生達は「ペットを売る」という発想をしたがりません。彼らのビジネスプランに多いのは、顧客ターゲットは犬、商品は栄養フードやトリミング・マッサージなどです。自分達の家族のような存在の犬を売買するという発想をしたくないそうです。ドイツのコンセプトに近いと思います。我々も、社会的立場、飼い主の立場、ペットの立場にそれぞれ立って税制や流通経路やビジネス全般に考えが及ばなければいけないと思います。
 私自身もビジネスの現場にいると、売れるものは何でも売って儲ける資本主義の考え方に麻痺してしまいます。しかし、ペットの存在や若い学生達が私にどんな考え方をしないといけないのかを教えてくれ、気づかされています。


私とお花
店舗コンサルタント
小路 文子

 季節がめぐって春になりました。寒かった冬が終わりを告げ、様々なお花が咲き始めます。そんな素敵な季節「春」が大好きです。
 仕事柄、多くの人様と接する日常は得る事が多く勉強になりますが、残念ながら楽しいばかりでもなくストレスの種になることもある・・・(まあ、私と接する相手の方がストレスは大きいのかもしれませんが(^_^;)
 そんな時に心を癒してくれるのは黙って咲いていてくれるお花たちです。2月になるとちらほら梅の便りが届き始めます。そのときに行きたいのはやはり大宰府。子供のころからなじみの深い大宰府天満宮へは防寒対策をしっかりして出かけていきます。寒空の中、梅観賞が終わるとお気に入りの茶店での甘酒と焼きたての梅ヶ枝もち。なんとも最高の贅沢をしている気分に浸れます。3月は桜の便りが聞こえてくるまでは、自分のうちの小さな庭(?)でのささやかなガーデニングの準備をします。といってもそんなに凝り性でもなく、まめに世話をしない私は、できる限り「丈夫で世話要らず」なタイプの苗たちを仕入れお休みの日にまとめて植栽します。年に二回、春と秋に「にわかガーデナー」になるわけですが、それはそれは見事で綺麗な景観が完成します。その時は。しかしその後、忙しさに追われ、肥料与えどころか水遣りさえ忘れることもしばしば。いくら丈夫な種類とはいえ息絶え絶えです。友人からは別の名を「植物キラー」と言われたことがある私。
 そんないい加減なガーデナーですが今年は嬉しいことが2つありました。ひとつは昨年10月(半年前)に苗を買ってきて植えていたスイトピーが、私にしては結構世話したのに半年間まったく蕾が出ず、あまりに悲しくて、「もう引っこ抜いてしまおう!!」と思っていたある朝、よ〜く見ると小さな蕾らしきものがついているではないですか!あまりにも嬉しくて思わず小躍りしてしまいました。植物もそうですが、人材でも、自分のそのときの状況などでも、すぐに芽が出ないからといって簡単に引っこ抜いて捨てちゃいけない!そう心に改めて誓い、それを教えてくれたスイトピーに本当に感謝しました。もうひとつ、これはもっと驚いたのですが、一年前「花どんたく」がアイランドシティで開催されたとき「ムスカリの球根200円でつかみ取り」というのがありました。それをつかみ取り(10個くらい取れたと思う)早速鉢に植えてみると、どんどんグリーンの葉っぱが出てきてウキウキ・・。が、しかし、いつまでたっても紫のムスカリの花が咲きません。そのまま半年植えたまま忘れており、秋に気づいたのですがめんどくさい性分でほったらかし、ついに春まで植えっぱなしにしていたところ(たまに水はあげた)なんとこれまたある朝ふと見ると、けなげにも4〜5個のお花がついているではありませんか!!私の不精が幸いして、といってしまうと聞こえはいいですが、本当に自然の力ってすごいとまた思い知り、自分も一年越しで花を開かせるような、そんな腰の据わった仕事をしていきたいなぁ・・としみじみ思うのでした。


その時から歴史が変わった(裏から見た経済史的私感)
一級販売士  堤 浩

 私は、今日の「ぼやけた」(“ぼやけた”とは総中流意識時代と異なり、富裕層と非富裕層の所得格差の発生によって、少子高齢化社会による将来への不安と重なって消費不況に陥っている状態を指す)経済状況はバブル崩壊の後遺症と考えます。バブルの発生は街の姿まで変えてしまいました。これは少子高齢化社会だけのためではなく、バブル崩壊後のいわゆる「失われた時代」の間に、私たちは生活防衛のためライフスタイルを変えざるを得なかったと考えられます。この原因は何時からか、これが「その時」なのです。
 さて、小売業界にはかつて零細小売業を保護する百貨店法がありました。しかし1973年(昭和34年)に百貨店法に代わる大規模小売店舗法(大店法)が成立し、それも零細小売店の保護を目的としていましたが、2000年(平成12年)には廃止され、文字はよく似ていますが内容が全く異なる「大規模小売店舗立地法」という法律が成立したのです。
 大店法が廃止される発端は、当時日米の貿易不均衡の是正のため、1989年(平成元年)から始まった第1回日米構造問題協議に遡ります。国内での米国製品を多く扱っている百貨店など大規模店舗の出店規制を非関税障壁と考えた米国は、日米構造問題協議で大店法撤廃を主張しました。ところが、大店法見直しが始まる以前から、米国の財政赤字解消のための動きはあったのです。それが1985年(昭和60年)です。この年がここでわたしの言う「その時」です。
 同年9月に、米国のプラザホテルでG5(先進国五カ国の蔵相中央銀行総裁会議)が開催され「プラザ合意」がなされました。この合意から日本はバブルへと突き進んでいきました。この合意により、為替市場は急激なドル安へ進みました。これが急激な円高をもたらし大蔵省(当時)と日本銀行は公定歩合を引下げるという金融政策で対応しましたが、行き先を失った資金が不動産に流れ地価の異常なまでの高騰を生みました(バブル発生)。そして地価対策として実施した不動産向け融資規制が予想以上に地価下落を招いたのでした(バブル崩壊)。
 バブル崩壊は、金融危機となり銀行・証券の再編、ひいては消費不況に発展していったのです。そして今また、米国はイラクへの戦費支出による財政赤字になっています。そして大手住宅金融会社(サブプライムローン)の大量の焦付きが問題となり、日米間ではFTA(自由貿易協定)の議論が始まろうとしています。
約20年前と同じような米国財政赤字、外圧による国内市場の開放となりそうな予感がします。しかし過去と同じような道は歩みたくないと考えています。


開通2年目、地下鉄七隈線で変わった!福大生の生活行動
一級販売士 鯉川 聡

 1:ご挨拶
 会報に初めて書かせて頂きます。販売士の資格を、本協会会員の高田暢夫先生のご指導の元、平成17年に大学での資格講座等にて取得致しました。
 私は法学部に在籍しておりましたが、講義で繰り広げられていた「実務とかけ離れた法律理論」以外からの視点を欲し、この資格にチャレンジした次第です。しかしその「法律理論」をさらに学びたいという気持ちから、この春より大学院で会社法の研究を行う事になりました。
 2:七隈線と商業集積
 さて、私が在籍する福岡大学は、平成17年春に開通した地下鉄七隈線のおかげで、福岡市西南部の弱点である交通渋滞と無縁のアクセス手段を得ることが出来ました。この七隈線は、沿線に福大の他、九州大学教養学部(六本松)、中村学園(別府)という3つの大学が立地する通学路線としての性格を持ち、利用者も増加傾向にあります。
 しかし一方で、沿線の商業集積に目を向けてみると、七隈線沿線に立地する商店街は、天神地下街、渡辺通サンロード、サービスの充実で生き残りを懸ける六本松、そして開発が進む橋本を除くと、活況であるという話を聞くことがあまりありません。
 七隈線は利用者の行動にどのような影響を与えたのでしょうか。ここでは私の在学する福岡大学の学生について、聞き取りやアンケート調査の結果から見てまいります。
※なお、ここで行ったアンケート調査は、私が昨年度に執筆致しました『溜まり場を通した商店街活性化について(地域における商店街の活性化を考える 財団法人福岡アジア都市研究所)』の過程で行ったものです。
 3:七隈線で変わった!福大生の行動
                 
大学〜駅・バス停六本松まで薬院まで天神まで
七隈線約10分18分23分25分
バス約5分約20分約30分約35分

 上の表は福岡大学から各地までの、地下鉄七隈線・バスの所要時間の対比です。
(1)ストロー効果 〜空き時間は天神へ〜
 ご存じの通り、交通機関の開通、利便性の向上などの原因により、買い物客が大都市、都心へ流れてしまうというストロー効果。この実例を福岡大学でも伺うことが出来ました。
 例えば、講義の空き時間に天神のカフェへ喋りに行く女子大生達。もし1コマ分、1時間半講義が空いたとすれば、天神往復にかかる時間は50分少々。つまり40分間天神に滞在することが可能となります。バスのみがアクセス手段だった時代よりも、天神が確かに近くなりました。またバスに続き、地下鉄も学生乗り放題定期を発売したことによる交通費という概念が薄れたことも、このような事例の元になったのでしょう。
(2)郊外への移動 〜女子大生は「次郎丸」へ〜
 しかし福大生は都心だけに流れるというわけではありません。若年層に支持される店舗・施設が出来ることにより、天神とは逆方向へも向かわせることが可能なのです。
 開発が進む次郎丸駅近辺には、昨年スターバックスコーヒーが開店。さらに手軽に行ける温浴施設もオープンし、「次郎丸」を大学生の会話で聞く機会が、少なくとも私の周囲では増えています。特にスターバックスコーヒーは現在の若年層の支持を集めていることから、大学生を郊外に向かわせるきっかけになっているようです。
 4:大学生と商店街
 近年盛んに叫ばれる「地元商店街の衰退」。七隈線の開通後、大学生は商店街を利用しないのでしょうか?福大生を中心とした122名の学生に行ったアンケートに目を向けます。
 上の図は、「利用したことがある福岡市内の商店街」について回答結果です。福大のお膝元である七隈は、約10%の回答者が選択するに留まっています。しかし一方で、広い商圏を持つ天神新天町は別格としても、西新(同、約25%)は、他の福岡副都心(大橋・香椎。いずれも多くの学校が立地する街です)と比較しても高い数字を誇ります。
 この原因は、福大から地下鉄の定期のみで行くことができるという立地面での要素も無視できませんが、それでも七隈や六本松と比べても高いことからも、西新商店街は特別に学生から支持されていると言えるのではないでしょうか。
 5:まとめ 〜七隈線の効果、都心と逆方向の流れを作る〜
 七隈線による効果として、学生の動きを都心と逆方向にも向けるという事例にあるように、沿線学生の動きの活発化を見ることができます。つまり西新や次郎丸の事例からも『学生は中心部にしか行かない』わけではなく、沿線で学生に魅力的な場を商業が提供することが出来れば、都心でなくとも来訪しうる事を示しています。
 さて肝心の「学生にとって魅力的な場」については、今年度発足した街作り研究会にてさらなる研究を深めた上で、またご報告できればと考えております。


老化現象と食生活

食生活アドバイザー
事務局長 泉 亨

 人の体は約60兆億の細胞で造られていると云われています。活性酸素(フリーラジカル)がこれらの細胞の細胞膜を酸化(錆びる状態)させて過酸化脂質を作り出します。過酸化脂質により血管が脆くなります。特に脳血管を変化させることで老化と云う現象に大きな影響を及ぼします。人は血管とともに老るとも云われているくらいです。また過酸化脂質は身体機能を低下させ、それも老化現象の原因となります。
 過酸化脂質の多い食べ物や、動物性食品等を毎日多食していると、細胞膜は容易に酸化されてしまいます。過剰なアルコールの摂取や、血糖値が高い状態等が続けば、老化に大きく影響を及ぼす活性酸素(フリーラジカル)が多く発生します。しかも、若い時には活性酸素の働きを弱める、ストッパーの役目をする抗酸化酵素が働いていますが、加齢とともにその抗酸化酵素の発生が衰えてしまいます。
 また、成長ホルモンも加齢とともに減少し、老化ホルモンが働き始めます。加齢が進めば内分泌ホルモンが変化して、体の保水力が減少します。さらに、加齢によって運動量が低下したり、食が細くなったりすれば、筋肉量の低下に大きく影響を及ぼすことは、考えてみなくても納得出来ることです。筋肉の量が減って萎んだ状態になれば、抵抗力の低下を招き病気がちの体になり、ますます老化が進むことになります。若い時には抗酸化酵素が体内で盛んに合成され、次々と細胞が再生されていきますが、加齢とともに抗酸化酵素を作り出す機能が弱くなって荒んで来ます。それも老化の原因の1つとなります。
 ところである程度加齢が進むと、いわゆる、オヤジ臭(女性の場合も発生します)が気になるようになります。これも、周囲の人に老化現象を感じさせる1つの要因ですね。喫煙、飲酒過、菜食不足、肉食過多、オゾン不足、色気不足が主な原因として考えられますが、この原因の頭文字を繋ぎ合わせると(奇異な臭い)となります。若い人たちには無い、中年以降の独特な臭いですね。別名、老人臭、言葉を変えれば生活臭と云うことになりますが、これはノネナールと云う臭いの物質がその正体と云われています。いつも清潔な体で、洗い立ての清潔な服装で居れば、それだけで実際よりも若く感じられるものです。老化は物理的な面だけでなく、精神的な面でも大きく関わっています。老化の原因の1つに色気不足(独断と偏見?)も重要な要因として上げられます。
最近、エイジレスと云う言葉が聞かれるようになりましたが、その意味は若人、年寄りと云った年齢の垣根が無くなって来たと云う意味で使われているようです。例えば、20代をターゲットに開発された商品が40代50代に支持される。またその逆の場合も現れると云った現象です。もう年だから・・・とか、いまさら・・・、なんてこと考えるのは止しましょう。精神年齢が若ければ、肉体年齢もそれに伴っていくらかは若くなるものです。暦年齢なんてそんなもの存在することすら忘れましょう。エイジレスの世の中なんだから ! とは云っても浮世の移ろいは止めようがありません。
 そこで老化現象を少しでも遅らせるための生活習慣7ヵ条を考えて見ましょう。
 (1)禁煙する
 (2)紫外線を出来るだけ避ける
 (3)過飲・過食を控える
 (4)抗酸化物質を充分に摂る
 (5)ストレスは溜めずに発散する
 (6)夜遊びは止めてよく眠る
 (7)軽運動でよく体を動かす
 考えてみればそんなに難しい話ではありませんね。ついでに、東京都老人総合研究所が発表している老化予防の生活指針の一部をご紹介します。
 (1)3食のバランスを取り欠食をしない
 (2)油脂類、動物性蛋白質が不足しないようにする
 (3)肉と魚の摂取バランスを1 : 1にする
 (4)毎日、牛乳1本、豆腐半丁、卵1個を摂る
 (5)緑黄色野菜、根菜類をしっかり食べる
 (6)食欲が無い時はオカズから食べてご飯を残す
 (7)酢、香辛料、調味料を上手に取り入れる
 (8)洋風、和風、中華風等色々な調理を楽しむ
 (9)会食の機会をつくり食事を楽しむ
 (10)噛む力を維持するためメディカル・チェックを受ける
 どうでしょう?実行出来そうですか?
 いずれ訪れてくる老化現象、少しでも先送りすることが出来ればお互いにこんな嬉しいことはないですね。(若い人達にとっては迷惑な話かも) 老化は止めようがない ! ジタバタしたって仕方が無い ! とあきらめてはいけませんよ。
 確かに止めようがありません。しかし、食生活を見直せば!生活習慣を見直せば!少なくとも老化を先送りすることは可能です。老化を自然現象ではなく、治療可能な病態として、日常生活においてどのようにケアすれば良いのかを教える、アンチ・エイジング・ドックが、今、注目を集めています。さらに心身の衰え(錆びる・萎む・荒ぶ)を可能な限り抑え、生活の質を高く保ちつつ人生を全うする、そのための手段の一つとして、”食” があります。旨い物を食べて感じる刺激はストレスに有効 ! 健康にも有効 ! と云われています。医食同源と云う言葉の通り、栄養・旨さとは別に病気の予防効果や、若さを保つ食効等が “食” にはあります。例えば、血清アルブミンは肉類や油脂類に多く含まれていますが、これは若さを計る指標とも云えます。このアルブミンの数値が高い人は、生活の自立度が低下しにくいと云われています。このような、減少することが老化の大きな要因の一つして考えられる物質が、食事によって適切に摂取出来ることに注目しましょう。しかし、食事に多様性がないと低栄養の傾向となり、体力も行動力も低下し、まさに老化一直線 ! 皆さん、年は取るものと諦めないで、例え、蟷螂の斧と云われようと踏ん張って平均寿命100歳達成にチャレンジしましょう ! 理論的に云えば人の最長寿命は122歳と云われているのだから ! 
 

参・考・意・見
一級販売士 三崎 健

 4月20日、「禁煙」一周年を迎える。47年間1日も休まず吸い続けたタバコを突然やめたのです。計算が正しければ吸い始めは17歳と云うことになる。もう時効だから白状するが、自衛隊生徒(少年自衛官)3年の時であり、娑婆(しゃば)では高校3年ということになる。模範生徒でなかったことは明らかである。
 毎日、訓練に明け暮れていた頃の、体力に自信があった時期は、好奇心の方が先に立っていたが、年とともにタバコの「効・害」に掏り変わっていきます。
「タバコは一臓器には悪いが、体全体にはよい」などと弁明しつつ、黙々と吸い続けたのでした。しかし正直タバコうまいと思ったことは一度も無い、という自分に気付いたのです。グッド・タイミング ! 糖尿病の専門医から、「そんな考えでは2〜3年のうちに死ぬかもしれんぞ」と脅されたのである。
ひゃーたまがった。観念!命と引き換えよう。何の苦もなく突然やめられた理由である。
 結果は次のとおり。
 1.職場の片隅や、寒空のもとや、空港での囲いの中での「見世物」的喫煙からの開放
 2.家の中の空気を汚さない。灰皿、吸殻等の後始末や火の元の心配もしなくて良くなった
 3.家族の受動喫煙からの開放
 4.ポケットの中から、タバコとライターがなくなり、身軽になった上、タバコが切れるストレスからも開放された
 5.飯も酒もうまくなった
そして、思ったことは、タバコをやめるとは、吸う「タバコ」をやめるのではなく、吸う「習慣」をやめるという、「生活習慣」の変容にあると気がついたことである。今は「嫌煙権」の保持者となったが、生活習慣病である「糖尿病」との付き合いは続いている。
(そして忍耐力も続いているのです)


格差社会の象徴―ホームレスと銅像
福岡販売士協会顧問 山本 宣尚

 平成時代に入り、経済活動における規制緩和やグローバル化の進展に伴って自由競争が促進される一方で、税制での各種控除の廃止や福祉政策の後退などにより、いわゆる社会的格差が広がりつつあり、特に、小泉内閣以来、富者と貧者の差が際立つようになりました。現在の政府も、格差の実態を認めたがらないが、各種の調査・統計の結果は、明らかに格差の拡大を示していると言えます。
 以前は、「格差」と言えば、@所得格差、A地域格差、B企業格差、といった言葉で表現されることが多かった。しかし、最近の新聞・雑誌では、「正社員と非正社員の賃金格差」「教育格差」「医療格差」「地価格差」(大都市圏とその他地域)といったように、より具体的な表現(見出し)で報道されることが多く、様々な分野・局面での格差が問題になっています。さる4月1日は、国鉄の分割によりJRが誕生して20周年にあたる日ですが、JRの7つの会社の業績には、当初予想された以上の格差、「JR格差」が生じてしまいました。北海道、四国と同様に、JR九州も営業収支では赤字であり、今後、サービス面の低下はまだしも、鉄道の安全面への影響が心配されます。
 貧富の差に関して、「富」を象徴するものとしては、「大邸宅」や「高級マンション」がすぐ頭に浮かびますが、最近、首都東京都心の再開発などに伴って、次々と誕生している外資系高級ホテルが話題になっています。一昨年12月に日本橋にオープンした「マンダリンオリエンタル東京」に続き、本年3月末には、六本木(防衛庁跡地)に東京一高いビル(248b、54階建て)を中心とした「ミッドタウン」がオープンしたが、そのビルの上層階を占めるのはホテル「ザ・リッツ・カールトン東京」。その宿泊料金は、最低が一泊6万8,250円とのこと。さらに、本年9月には、日比谷に「ザ・ペニンシュラホテル」がオープンする予定です。
 一方、「貧」と言えば、古今東西、物乞いをして歩く「乞食」がその象徴でした。しかし、豊かになった今日の日本では、恐喝や万引きをする人はいても、「乞食」はいないようです。その代わり、どこの大都市でも目に付くようになったのがホームレスと青テントです。東京都近辺で私がよく目にする場所をあげてみると、青テントがずらりと並ぶ多摩川鉄橋の下、ホームレスが点々と寝そべっている皇居前広場、とりわけ雨の日に多勢たむろしている丸の内の国際フォーラムや東京駅・京葉線コンコースなどです。そうした中で、なんとも皮肉な場所と思うのは、大手町の常盤橋(注)公園の一角にある渋沢栄一翁の銅像の足元(正確には、台座の載るコンクリート基盤の脇)に、年間を通して複数のホールレスがいることです。
 渋沢栄一と言えば、青年時代に幕末期の欧州各国を視察して見聞を広め、明治期の産業振興に大きな貢献をして「日本の近代資本主義の指導者」と賞賛されているのはご承知の通りです。彼は、生涯にわたり様々な業界で500以上の会社の設立に参加しつつ、国立第一銀行や東京株式取引所を創設し、東京商工会議所の初代会頭も務めました。銅像としては、西郷隆盛や楠正成ほど有名ではありませんが、その銅像の後ろ(外堀通りをはさんで)には、通貨の番人―日本銀行本店が聳えています。私は、この銅像の前を通るたび、彼が今日生きていたならば、自分の足元のホームレスをどう思うか聞いてみたくなる。
 ちなみに、さる4月に厚生労働省が発表した、主な大都市のホームレスの数は、東京(23区)4,213人、大阪市4,069人に次ぎ、福岡市784人がワースト3です。
注)常盤橋は、東京駅八重洲北口からすぐ。江戸城の外堀(現在の日本橋川)にかかる橋のひとつとして、常盤橋門の石垣と共に保存されている。歩行者のみ通行可。


心の時代(顧客満足)に、教養の実践を
顧問 一級販売士
日本販売士協会登録講師
大原 盡

 1:はじめに
 桜花は葉桜になり、艶やかな躑躅・藤・石楠花の開花で、春を謳歌する時候になりました。このたび、岡山県笠岡で従妹の追悼式を済ませ、福山(墓参)・尾道(観光)・奈良(次男宅)・伊勢(神宮)・京都(仁和寺・川合仲象先生墓参)と、各地の桜花と老舗を見てきました。奈良は、イオンの大型郊外店展開。昔の町人の趣が漂う奈良町は、蚊帳の衰退から再起するため、麻の布巾や暖簾の製造直売に転換した、老舗の商魂の逞しさに感銘を受けました。
 2:協会の見学会に感謝
 為になる行事です、皆で参加しましょう。時代の変化に敏感に対応出来る為にと、福岡販売士協会では、昨年は流通業界の変化について郊外大型店2店の見学会を実施し、長崎での九州販売士交流会では、佐世保商店街活性化に成功された苦心の講演会があり、郊外型大型店と中心商店街が共生する事例として非常に役立ちました。お蔭様で岡野さんの助言で刺激を受けて、久山トリアス、ダイヤモンド・シティ、マリーナ・シティ福岡・ホークスタウンモール等を見学。中心商店街にない商品もあり、若者に向く品揃え、カーペットの舗道、高い天井、明るい照明、広広とした売場は人を惹きつけ心を癒します。会員の鯉川聡君は、流通研究センターの研究員として「商店街の活性化」をテーマとした講演会で好評でした。
 3:顧客満足を皆で考えよう
 心の時代到来に対応するべく、流通業の(顧客満足)の具体化が遅れているのが現状です。大手伊勢丹は「顧客満足経営」「顧客満足管理」を取り入れ、最近注目されています。それは、新宿高島屋が新改装開店で、日本一の百貨店を目指しているからです。
 4:時代変化の認識と対応
 日本経済は徐々に良くなって推移していても、小売業は実感が伴わず、苦戦の最中です。今回の旅行で、店の主張を時代の要請に合わせた熱意が、店に漲っている所は繁盛しています。時流に外れて経営が苦しければ、やり方を変えお客を感動させる店作りに励むことです。今、蕎麦茶屋文六本家(天神3丁目2―13)は、雨天は2百円の金券提供、2時以降は食後のコーヒー無料提供と、徹底したサービスには感動させられます。一方、百貨店酒売場では、運賃が掛かり過ぎるからと、一番売れ筋の久米島の久米仙(泡盛)を品切れしても補充せず、2週間以上も経過中。伊勢丹系で顧客反応に敏感な筈なのに。上の方針が末端まで不徹底は管理者の責任です。
 5:まとめ  成熟社会の流通業界の細分化の進展で、心の時代が到来。各自は教養の実践が大切です。先ず、自分の心棒を磨き、「他人に思いやりが出来る人になる」ことです。販売士になって、自分は何が出来るようになったか?それで満足しているか考えましょう。人を1人でも喜ばすオンリーワンの特技を身に付けているかと、キメ細やかな思考をもって顧客満足について考え、ここに投稿、キオスク論議を勉強しようではありませんか!!先ず、人を喜ばす行動を起こすこと。実践は拾銭の僅かなお金でも必ず後からついてきます。


研修副委員長の拝命にあたって
一級販売士
研修副委員長
中村 純治

今回研修副委員長を拝命いたし、身の引き締まる思いをしております。道津委員長を補佐し、研修委員会の活性化に助力していきたいと思います。会員の皆さまがたにおかれましても、ご協力ご支援のほど宜しくお願い申し上げます。
さて研修委員会の活動のひとつとして「一級販売士検定受験研究会」があります。内容は二級販売士会員の方が一級販売士にチャレンジするために「通信教育」と「模擬試験」を組み合わせた研修活動を行っていくと言うものです。そんな活動に携われることは光栄ですし、全力を注ぎ頑張りたいと思います。
ご承知の通り、販売士検定試験の科目体系の見直しが実施されています。
  (1)小売業の類型、
  (2)マーチャンダイジング、
  (3)ストアオペレーション、
  (4)マーケティング、
  (5)販売・経営管理、
の5科目共通に集約されました。3級は昨年度より実施されており、2級は今年度より実施されます。そして1級は来年度より実施される予定となっています。
 顧客ニーズの多様化など小売業を取り巻く環境が激変しています。そのような中、私たちはCS(顧客満足)やES(従業員満足)をもたらすために常に自分の資質をブラッシュアップする必要性に迫られています。私も会員の皆さまがたとともに自己研鑽をしてまいりたいと思っております。
 先日私は美容室の販売員(スタイリスト)を指導する機会に恵まれました。カッティングという固有技術を武器に来店客に対して献身的なサービスを提供する姿を見て感銘したものです。商品知識や接客技術は高いレベルにありました。しかし、顧客情報をより積極的に収集し、分析し、活用することにより、さらに高い顧客満足が提供できることを提案しました。現状に満足することなく、一歩でも向上するために努力する大切さを提案させていただきました。
 今後も人に対して提案していくためには、まずは自ら何事も率先垂範していきたいと思っております。研修委員会へのご提案、ご意見等がありましたらご遠慮なくお願いいたします。


事務局便り
事務局 泉 亨

 ☆ 今回は、福岡販売士協会にとって第六回目の総会となりました。私が入会した頃は一級販売士約90名、二級販売士8名でしたが、現在一級販売士64名、二級販売士17名と二級販売士の数が倍増してきていることが分かります。特筆すべきことは3級販売士も1名加入していることです。
 ☆ 会員の方々の中から、コンサルタントとして独立し、活躍される方も少しづつ増えて来ています。 世の中が変化するとともに、福岡販売士協会も変化しているんだなと実感致します。
 ☆ 大勢の会員の皆様に会報の原稿を書いて頂きました。内容も文章のタッチも人それぞれで大変勉強になります。これからも、〆切ぎりぎりではなく少し早めに事務局まで送って下さい。よろしくお願い致します。会員の皆様のご協力で、会報を盛り上げて行きたいと考えています。
 ☆ 今年の10月あるいは11月には九州販売士交流会が島原で開催される予定です。ご参加希望の方は計画を立てて、是非一緒に参加し、交流の輪を広げましょう。
 ☆ 色々な会合、会報の原稿等で、これからも会員の皆様にご連絡をさせていただくことがあるかと思いますが、折角の機会ですから交流の輪を広げ、自分の考えを発表する機会だと思ってご協力下さい。